産婦人科医ドクターまんまの北海道の歩き方
みなさんこんにちは。まんまでございます。
先日、大型連休を利用して函館に行って参りました。
例年ですと大型連休の時期イコール桜が見ごろというところ、今年(2024年)は4月中旬に函館地方の桜が満開を迎えたとの便りを受けていましたため、花より団子、グルメ優先ツアーと位置づけ愛機と共に南へ向かいました。
なんでしょう、5月の大型連休の時期には、桜の鮮やかさと太陽の暖かさを求め、なんとなく道南地方に自然と足が向いてしまうのは道民の性のような気がします。
まず札幌から函館に向かった場合の高速道路の終点、大沼公園では「大沼だんご」に狙いを定めました。
大沼のだんご | 【公式】大沼国定公園の観光情報サイト「大沼ップ」 (onumakouen.com)
函館と聞けば、函館山の夜景や新鮮な魚介などが連想されると思います。
産婦人科医ドクターまんまの北海道の歩き方
みなさんこんにちは。
まんまでございます。
先日、ルスツリゾートスキー場に行って参りました。ルスツリゾート北海道 ルスツリゾート (rusutsu.com)…虻田郡留寿都村にあるその場所は、夏は遊園地、冬はスキー場を中心とし、他にもさまざまなアクティビティを通じて大自然と一体となれる、まさに北海道を代表するリゾートです。
スキー場について申し上げれば、ウエストMt.、イーストMt.、Mt.イゾラという3つのピークに4基のゴンドラ、そして14基の高速リフトを擁する、なんとも贅沢で開放感溢れるゲレンデ構成を誇り、その斜面に佇んでいると、「ここは本当に日本か?」と思わず唸ってしまう、そんな規模のスキー場です。
特にMt.イゾラは長距離滑走が可能なコースが多く、山頂からコンドラ乗り場までほぼ均一な斜度のピステをかっ飛ばしていると、日頃のストレスや鬱憤を吹き飛ばしてくれること請け合いでございます。
訪問日は3月下旬の平日ということもあり、ルスツとしてはこれまでに経験したことがないほど空いていました!
当日は天候にも恵まれたため、それこそオープンからクローズまで北大基礎スキー部の現役時代のように夢中に滑っておりました。
基礎スキー部時代はとにかく早く上達したい一心で、文字通りオープンからクローズ(ナイター含む)まで滑りに滑りまくっていましたが、社会人になってからというもの、そもそもスキーに行くことが億劫になり、さらにはいざスキー場に到着しても1本2本滑った程度で疲労困憊、「嗚呼、明日の仕事もあるし、もう帰るか」と昼ドンを待つことなく撤収状態が常でしたが、今回のひさしぶり(もしかして20年以上ぶりかも知れません)のルスツ訪問は本当に時間と疲労を忘れさせてくれました。
北海道大学に入学し、「北海道に来たからにはぜひスキーは滑れるようになっておきたい!」との思いから、入学早々に基礎スキー部に入らせていただきましたが、基礎スキー部での理論講習と夏場の体力作り、そしてシーズン中の上級生が下級生を系統的に指導するというレッスンシステムの恩恵により、板を履くのも一苦労、スキーも人生で数回したしたことなかった超絶スーパー初心者だったわたくしも、2年目にはSAJ1級を取得することが出来ました。
基礎スキー部の公式HPトップページ | 北海道大学基礎スキー部 (huss.sakura.ne.jp)やSNSを拝見していると、現在の滑りのトレンドは膝の動きで板の角付けを切り替えして鋭くターンを切り込んでいくようですね。
わたくしが在籍していた当時と滑りの質が大きく変わっていることに驚かされますが、オフシーズンの旅行などスキー以外のレクレーションも充実しているようで、部活を通じて大学生活を楽しむという姿勢は変わってないようです。
ついでながら、全日本スキー技術選手権大会に出場している部員がいるというレベルの高さにも驚かされます。
いつの日か、デモンストレーターを輩出するかも知れませんね。
さて、そんな基礎スキー部時代、先輩の企画で部員仲間と訪れた「カムイワッカ湯の滝」など、もはや観光客が簡単に足を踏み入れられるところではなくなりましたね…。
草鞋を履いて川を遡上し、流れ出る源泉で温められ天然の露天風呂と化していた滝つぼに浸かって知床の大自然に溶け込んでいた、そんな当時がとても懐かしいです
(写真を撮っていたはずですが、どこにも見当たらず…残念)。
上記はネットからの拾い画像ですが、現在は一の滝までは行けるようですね。
怪我と羆対策は自己責任ですが、それこそ当時はどこまでも登っていくことができました。
神削壁産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方 - doctor-mamma’s diary (hatenablog.com)やタウシュベツ橋梁産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方 - doctor-mamma’s diary (hatenablog.com)もそうですが、このように多くの北海道遺産が近くて遠い幻状態というのは、本当にさみしいですね。
産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方
みなさんこんにちは。
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まんまでございます。
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みなさんこんにちは。
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みなさんこんにちは。まんまでございます。
本日(令和5年1月14日)は大学入学共通テストですね。
受験生の闘志あふれる熱気に寒さも忘れそうです。
そんな若者のエネルギーをひしひしと感じていると、自分が受験した時のことを思い出しました。
20数年前はセンター試験でしたが、会場は「京都工芸繊維大学(京都市左京区)」だったと記憶しております。
まずは受験票。
大きめで年によってカラーが異なる独特な受験票は、確か赤色か桃色だったと思います。
そして会場ですが、京都工芸繊維大学の場所をGoogle mapで検索してみると、高校時代の住居である山科区からかなり遠いところですね。
もちろん、高校の所在地からもさらに遠いです。
現地まで友達と待ち合わせをして試験に臨んだのか、何時ごろ着いたのか、当時の天気はどうか、昼休みは何を食べたのか…なぜか全く覚えていません。
テストそのものでは、一問10点も配点され、出来れば間違えたくない国語の選択肢を間違ったとか、模試では好成績だった英語が本番では全く振るわなかったとか…これまたロクな記憶がないです。
試験2日目の朝刊に1日目の解答例が掲載されますが、敢えて自己採点はせず、2日目の日程が終わってからすべての科目を一気に採点したというのは、高校生なりの戦略だったのかなあとか。
結果的には、目標としていた得点率を超えられず、ついでながら定期試験で順位を争っていた親友との勝負に僅差で負け…と、やはりよい記憶がないですね。
ちなみにその親友とは、六星占術で有名な細木かおり氏の旦那様です。
彼は東北大学に進学したのですが、大学時代はお互いの実家で寝泊まりしたり仙台の下宿に遊びに行ったり、はたまた「青春18きっぷ」を利用し普通列車で東海道本線を旅行したりしていました。
彼が北海道に遊びに来てくれた時は、修学旅行以来の層雲峡を再訪したり、わたくしの下宿で飲み明かしたり…と楽しいひとときを過ごさせてもらったものです。
結婚式に呼ばれたのですが、当時19歳だったかおりさんその方がよもや細木数子氏の跡継ぎになろうとは。
つくづく人間の縁って不思議だなあと思います。
さて、そんなこんなでセンター試験の点数は振るわなかったのですが、予定通り前期日程は実家から通える関西の国立大学に強引に出願、後期日程で母校となる北大を選択いたしました。
残念ながら前期日程の第一志望は不合格でしたが、人生あれなければこれなし…と、万が一第一志望校に合格し通学していたら今の自分はどこで何をしてたのかなあと、考えても仕方ないことに思いを馳せてしまいます。
大学4年生の冬が阪神淡路大震災の年となります。
不謹慎かも知れませんが、被災して命を落としていたかも知れません。
また、医学部を再受験しようと思ったかどうか。
やはり人間の運命ってわからないなあと思います。
いずれにいたしましても、受験生の皆様はベストを尽くしてください!
受験の先輩としてわたくしも全力でエールを送りたいと思います。
産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方
こんにちは。まんまでございます。