産婦人科医 ドクターまんまのお城めぐり

こんにちは。まんまでございます。

今回は岐阜城についてお話させていただければと存じます。


岐阜城岐阜県岐阜市金華山【標高329メートル】の山頂にございます)は、かつて稲葉山城と称され、その起源は鎌倉時代以前に遡るようですが、本格的に整備されたのは、戦国時代、斎藤道三公が居城とした頃のようです。
その稲葉山城織田信長公が1567年に攻略、この地方一帯を平定したのち、本拠地を小牧山から当城に移した際、麓の町などを含めて『井口』から『岐阜』と改名したことにより、爾来岐阜城と呼ばれるに至ったとのことです。

 

麓から望む金華山岐阜城

現在の岐阜城として知られている天守閣は1956年に往年の姿を想像して作られた「復興天守」で(よく「模擬天守」と言われますが、戦国時代に天守様構造物があったので、何もなかった所に天守閣を作る「模擬天守」とは異なるというのがわたくしの意見です)、城内は資料展示室、楼上は展望台として多くの方に親しまれています。

 

岐阜城

そんな岐阜城からの眺めでございますが、圧巻の一言に尽きます。
眼下に広がる濃尾平野はどこまでも広く、伊勢湾から太平洋に溶け込むその姿に、人間の可能性が無限に広がるような錯覚を抱いてしまいます。
また、水量豊かにゆるゆると流れる長良川が夕陽に照らされ金色に輝く様は、自然が作り出した錦繍のようでもあり、また京都へ続く黄金の道のようでもあります。

 

岐阜城からの遠景と長良川

斎藤道三公や織田信長公もそれぞれの思いを抱いて眺めていたであろう、この景色には不思議なエネルギーを感じます。

わたくしは、何かに行き詰まった時、ある選択において大切な結論を出したい時、また、とにかく前向き思考になりたい時、岐阜城に向かいます。

その岐阜城へは、ロープウェイと登山道、二通りのアプローチがございますが、やはり金華山の力強さを実感できる登山道をおすすめいたします。
登山道といたしましては、いくつかのルートが整備されており、距離、所要時間、レベルが分かれています。

登山道の案内板

観光として訪れる場合は、麓の岐阜公園からアプローチ出来る「七曲登山道」、「百曲登山道」、「馬の背登山道」、「めい想の小径」のいずれかが便利かと思います。

「七曲登山道」と「めい想の小径」が初心者向けで、「百曲登山道」は山道に慣れた方向け、「馬の背登山道」はさらに体力に自信がある方向けです。

百曲登山道


一応こちらの4コースは全て制覇いたしましたが、「馬の背登山道」は、上級者向けというだけあって急勾配の岩場が連続し、途中何度もこころが折れそうになります。
中にはほぼ垂直な断崖(しかもそれなりに距離が長いというか高低差がかなりある)もあり、本当に体力がないと厳しく危険です。

馬の背の急勾配

馬の背登山道のほぼ垂直な急勾配

個人的には、長良川を眺めながらハイキング感覚で登れるめい想の小径がおすすめですが、つい最近(2022年8月)滑落事故もあったようで、登山道ですからやはり油断は禁物です。

長良川金華山

こころと身体のリフレッシュも兼ねて岐阜城登山、みなさまもいかがでしょうか?

産婦人科医 ドクターまんまの名古屋ライフ

こんにちは。まんまでございます。

今回は名古屋時代のお話を少しさせてください。
 
当時、名駅近くにアパートを借りていたのですが、浅田レディース勝川クリニック(愛知県春日井市)に勤務する日は、自宅から大曽根駅まで歩き、大曽根駅から2駅先の勝川駅までJRに乗るという通勤スタイルででした。

こちらは浅田レディース名古屋駅前クリニックの入るビル@名駅
 
名古屋駅からJRに乗ればよいものを、わざわざ大曽根駅まで歩くに至ったきっかけは朝の中央線が非常に混み合っていて煩わしかったからですが(さすがに勝川駅までは歩くと2時間近くかかるので、すべてを徒歩で通勤するというのは採用していませんでした(;´Д`))、約70分、ほぼ1万歩の当該コースは『馬上、枕上、厠上』よろしく、テクテク歩く事で頭がスッキリするのか妙案が閃く事も多く、いつからか、雨だろうが、風が強かろうが、必ず大曽根まで歩くようにしていました。
 

JR東海 中央線 大曽根駅
 
途中、名城公園を通るのですが、朝陽に煌めく金のシャチホコを眺めては向上心を高めていたような気がいたします。
そんな名古屋城は、わたくしにとってモチベーションを上げてくれる、いわば太陽のような存在です。
 
2017年12月に名古屋を離れてまもなく5年。
久しぶりに名城公園を散歩してみました。
 
新緑滴る雄大な石垣、光の波紋が煌めくお堀、澄んだ空に威風堂々と聳える天守閣…名古屋城のすべてがわたくしにエネルギーを与えてくれるようです。
 
 
次のステージに向けて一歩踏み出そう、そんな思いを新たにいたしました。
そしていつの日かまた名古屋に戻ってきたいと思いました。

産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方

こんにちは。まんまでございます。

 

2020年9月に三角点に関する記事を書かせていただきましたが、
当時、三角点のことを調べていたら下記の書籍がヒットしました。
 

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点の記
時は明治時代、信仰の山でもあり、また立山曼荼羅には「地獄の針の山」として描かれていた前人未踏の劔岳に三角点の埋設を企図した測量隊が、日本ではじめて登頂をこころみた際の記録に関する書籍です。
結果的には「はじめて」ではなく、測量隊が難行苦行の末ついに登頂を成し遂げたとき、劔岳の山頂には平安時代のものと思われる錫杖が置かれていたという衝撃…。
また、その登山道は「上級者向け」であり、危険な箇所やいくつかの鎖場を通過しないと辿り着くことができな劔岳に、それこそ現代のような頑丈な鎖や梯子がない時代に
多くの測量機器や重たい三角点を背負いつつ、自然の雪渓を利用しながら登頂を果たしたという事実に胸を熱くしました。
 
北アルプスの山々は、名古屋での単身赴任時代に千歳ーセントレア便の機内からその威容を眺めるだけでしたが、それでも言葉に表せない魅力がありました。
 
「点の記」を読了し、劔岳をぜひこの眼で直接見てみたい、あわよくば登頂を果たしたい、そんな思いを新たにした次第です。
 
とはいえ、いきなり劔岳を目指すのは少し危険な気がいたしますので、まずは道内の「百名山」にトライしたいと思い、さっそく調べてみました。
 
道内の百名山は9座(利尻岳羅臼岳斜里岳阿寒岳大雪山トムラウシ山十勝岳幌尻岳羊蹄山)あるようですが、そのうちの大雪山(旭岳)と羊蹄山には登ったことがあります。

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姿見の池から臨む旭岳(スキー部の仲間と共に;1991年夏撮影)
残り7座…ぜひ挑戦してみたいですね。
 

 

産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方

こんにちは。まんまでございます。

 

先月のブログで触れましたリベンジの地についてご報告いたします。

その場所とは「三毛別羆事件復元地」でございます。

 

三毛別羆事件」とは、1915年12月に現在の苫前町で発生した熊害のことで、開拓民7名の方がお亡くなりになり、3名の方が重傷を負いました。

 

その凄惨なまでの事件内容は

木村盛武『慟哭の谷』(文春文庫、1994年)

吉村昭羆嵐』(新潮文庫、1982年)

に詳しく記載されていますのでここでは触れませんが、わたくしがこの事件を知ったのは、高校2年生の冬に観た『リメインズ』という映画でした。

 

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リメインズ

当時、北海道を周遊した修学旅行から京都に戻り、北海道へのほのかな憧れが芽生え始めていたであろうちょうどそのとき、「北海道で実際にあった羆事件を題材とした映画がある」と聞き及び、これは是非と足を運びました。

映画の宣伝では「女性ばかりを襲った」と紹介されていたのと、オープニングにて、やはり女性が背後から近づいた羆に肩を噛まれて持ち上げられていた映像が脳裏に焼き付いています。

100%史実通りとまではいかなかったのと少し過剰気味の演出は仕方なかったとは思いますが、いずれにいたしましても、雄大な自然美に憧れていた高校生にとって、北海道の魅力というより羆の恐ろしさが刷り込まれたと思われます。

 

さて、その復元地でございますが、北海道の郊外としてはよくある見晴しのよい田園ロード的道道を、苫前町の中心部から20~30分程走らせた内陸部にあります(その道道は最終的には行き止まりになります)。

よく整備された、それでいて民家や対向車もほとんどない道道を走らせていると、そもそもなんでまたこんな山深いところを開拓していたのかなあと思います。

クルマでそれなりの速度を出して数十分ですから、開拓当時の人力ですと現在の苫前の中心部との往復には相当な時間を要したでしょうし…。

 

その道道ですが、2006年春に初めてこちらに訪問した際は途中でゲートが閉じ、行く手には残雪が道路を覆っていました。

除雪にて開通を早めるほどの需要がないということなのでしょうか、自然の雪解けを待っての開放のようで結局初回のトライは途中棄権ということになってしまいました。

 

それから15年、前述のごとく日本海オロロンラインを走っていたとき、ふと「三毛別羆事件復元地」を思い出し、盛夏の今なら季節的に通行は問題ないだろうと、再チャレンジしてみることにいたしました。

 

熊の親子をあしらった苫前町カントリーサインを見届け、国道232号から「とままえベアーロード」と呼ばれる道道1049号に入り、一路目的地を目指したまではよかったのですが…苫前の中心部から離れれば離れるほど、あたりは爽やかな田園風景から徐々に鬱蒼とした未開の原生林モードへと変化していき、少しずつ心拍が上昇していきました。

 

訪問当時北海道で羆事件が多発しているのも頻脈効果を助長したかもしれません。

 

ちょっとだけすっ飛ばし、愛機のエンジンサウンドで恐怖心をかき消そうと思いましたが、目的地まであと200m…という地点にいきなり現れたダートの道幅の狭さと天然の原生林トンネルによる薄暗さとで…いつ羆が出て来てもおかしくない、いやもしかしてそこに身を潜めているかも知れないという幻覚に襲われ、2回目の訪問も到達寸前で途中棄権してしまいました…。

 

あまりに怖くて写真も撮らずに遁走してしまったのですが、あの原生林の陰影と冷気が醸し出す羆感は相当だったかと。

 

この少し前、北海道の国道かどこかを走るクルマに威嚇するように飛びかかって来た羆の動画をニュースで見ていたというのが良くなかったですね…。

 

参考までに、ネットから拝借した「三毛別羆事件復元地」の写真を張り付けます。

 

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三毛別羆事件復元地

 

安全な場所で見るとなんてことはない、北海道にはよくある場所の一つに見えますが、

いざ現場に一人で居ると、なぜか悪いことばかり考えてしまいます。

 

次回があれば、今度こそ到達を果たしたいですね。

その時はクマ除けグッズを持参して臨みたいと思います。

産婦人科医 ドクターまんまの想い出の旅

こんにちは。まんまでございます。

 

本日は8月22日ですが、そんな8月22日にちなんでブログをアップいたしました。

 

理由は、アイドル歌手の岡田有希子さんのお誕生日が8月22日(1967年)だからです。

 

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岡田有希子さん


岡田有希子さんは1986年4月8日、8階建てのビルの屋上から飛び降りるという形で自らの命を絶たれてしまったのですが、その少し前、同年1月に発売された「くちびるNetwork」をテレビで歌う彼女のカメラ目線に、中学生だったわたくしはバキュンとこころを射抜かれてしまいました。

そう、文字通り一目惚れでした。

そしてまた、中学1年生にして初めてアイドルに興味をもった瞬間でもありました。

 

その後、テレビ出演している彼女の弾ける笑顔をうっとり眺めたり、透き通るような歌声にしっとり包まれたりと過ごしている最中、突然4月8日を迎えてしまいました。

 

ファンとしてするであろうコンサートに行くとか、握手会に出掛けるとかちょっと追っかけてみるとか、そんなことをする暇なんて全くなかったですね。

もともと実際に会える可能性がほとんどない芸能人の方ですから、この世からいなくなってしまったというのが実感できず、亡くなってからもせっせとカセットや写真集、そしてポスターを買い集めていました。

ある日、もちろん4月8日以降のことですが、彼女のポスターを買ったときのことです。

レジに持って行くと会計担当のお姉さんがじーっとポスターをみていたかと思いきや、包装してこちらに渡してくれた際、「岡田有希子が好きなん?」と声を掛けられました。

中学生ですから、もう恥ずかしくてポスターを奪い取るようにして逃げ帰ったのを今でも覚えています(まあ中学生ですから…)。

 

ファン歴が短かったので、自殺の報道に接したときは一緒に死んでしまいたいと思うほどの気持ちは起こりませんでしたが、それでも好きだったアイドルが亡くなった、しかも飛び降りって一体どういうことやねん!!と、とてもショックでした。

当日は入学式シーズンですから休みだったのでしょう、お昼時、自宅近くの路上で弟と遊んでいたのですが、近所に住む友達が「岡田有希子って人が自殺したんだって?(その人を)知ってる?」と声を掛けられたのを覚えています。

わたくしは「歌手の人やろ、知ってるよ。」っと、冷静を装って返答したのですが、記憶はそこでプツリと切れてしまっています。

内心は、「はっ!? 死んだ? 嘘やろ??」と非常に焦っていたと思います。

そんな当時を思い出してみるに、悲しいというより憤りの方が大きかったのではなかったでしょうか。

もちろんそれは彼女に対してではなく、死ななくてはいけなかった理由や、自殺を防げなかった周囲の関係者達への怒りです。

周りの誰かがなんとか出来なかったのか、そんな悔しい気持ちでいっぱいですね。

 

自分の部屋にはポスターを何枚も張り付けていたのですが、記憶を辿るに受験勉強に勤しむようになった高校時代ぐらいから岡田有希子さんの記憶が抜けているので、どこかで自分なりに踏ん切りをつけたんだと思います。

そして大学進学と同時に北海道へやって来たのですが、引っ越しの荷物に岡田有希子さんのグッズが無かったのか、少なくとも今手元には当時持っていたカセットや写真集はありません。

実家を家探ししたら何か出てくるかも知れませんが、時は21世紀、

岡田有希子さんをネット検索したら好きになった当時の彼女だけでなく、1984年のデビューの頃の姿や主演されたドラマまで動画で観ることができるので、全然寂しくありません。

 

本当に便利な時代になったもので、当時観ていた歌番組をいつでも目にすることができます!

そうなると、音源を手元に…と考えるのは当然の成り行きです。

さすがにカセットをネットオークションで買おうとは思いませんが、平成の世に出たDVDやCDがありますので、そちらを購入させていただきました。

 

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現代のクルマに蘇る岡田有希子さん


さて、岡田有希子さんの命日の4月8日ですが、わたくしが中学生だったころは入学式イコール4月8日イコール大体当時暮らしていた京都では桜が満開…という状況でしたので、入学式シーズンや桜の季節には岡田有希子さんを必ず思い出します。

 

そして思い出す度にネット動画で彼女の笑顔をポカーンと眺めています。

 

生きておられたら今頃は…とか、なんで飛び降りなどという死に方を選んだのかなあとか、考えても仕方ないことに思いを巡らせてしまいますが、18歳の彼女の姿はシンプルに可愛いなあって思います。

こんな歳になって恥ずかしくないのかと揶揄されそうですが、彼女だけは特別ですね。

誰がなんと言おうと心底可愛いと思います。

昔も今もずーっと大好きです。

 

復刻されたCDを買い、携帯やクルマを通じて彼女の歌声を聞いていると、

若くして逝ってしまったという哀しみと昭和のレトロな曲調とが相まって、懐旧の情を感じずにはいれません。

こころの奥底にしみ込んでくるような歌声にはいつも胸を熱くしてしまいます。

 

この世に死を選ばなくてはいけないほど辛いことがあるのだろうか。

なんで死んでしまったのかなあ。

いつもその繰り返しです。

 

自殺後に出版された雑誌などを取り寄せ読んでみましたが、彼女がなぜ死を選んだかなんてわかるはずもありません。

一点、確かに岡田有希子さんというアイドルがそこに存在し、そしてわたくしが好きになって今でも何かしらのエネルギーを貰っている、それだけです。

 

お墓参りさせていただいた際は「くちびるNetwork」を聞きながら、そっと岡田有希子さんに話しかけたりしています。

頭上に広がる青空を仰いでいると、岡田有希子さんの笑顔が浮かんでくるようです。

いつもありがとうございます。

これからも、全国にいるあなたが大好きなファンの方々を見守っていてくださいね。

 

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岡田有希子さんが眠る成満寺(@愛知県愛西市

 

産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方

こんにちは。まんまでございます。

 

過日、「日本海オロロンライン」を走ってみました。

 

日本海オロロンライン」とは国道231号、国道232号及び道道106号によって

北海道の日本海側、石狩市から稚内市までを南北に結ぶルートの愛称で、天売島に棲む

海鳥「オロロン鳥」にちなんで名付けられたようです。

 

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オロロン鳥

 そんな「オロロンライン」ですが、石狩市から留萌市までの国道231号区間は漁村や海水浴場を抜けるルートで、トンネルや断崖も多く注意が必要です。

 同区間の見どころは雄冬岬でしょうか。

 この地域一帯は暑寒別岳の山塊が日本海に没してできる断崖絶壁に挟まれており、陸路での往来が非常に困難であったため、かつては「西の知床」とか「陸の孤島」と呼ばれていたようです。

 相当前、くねくねの山道でこの地区を越えていたように記憶しています(1990年代ですね…)が、現在は長大トンネルで一気に駆け抜けてしまいます。

 ドライブではなく目的地として訪れ、岬の展望台でゆっくりと日本海を眺めて過ごしてみたいですね。

 

 留萌市以北の国道232号線は浜沿いを走るルートですが、海までの距離が近いので、波がしらのあわつぶを感じながら、自然と一体となってドライブすることができます。

 たとえば、日本海の煌めきに目を細めながら汐風と共に原野を吹き抜けるのは感動的ですね。

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日本海オロロンライン@国道232号

 また、燃えるような落陽が海に溶け込むころ、波濤に見え隠れする利尻富士の重々しい佇まいには荘厳さすら感じます。

 

 そんなオロロンラインを久しぶりにドライブしていた時、以前訪問を企図するも残雪に行く手を阻まれた、苫前町にあるちょっとしたスポットを思い出しましたので、立ち寄ることにしてみました。

 

 次回は、そんなリベンジの顛末をご紹介したいと思います。

産婦人科医 ドクターまんまのクリニック探訪

こんにちは。

まんまでございます。

 

女性の晩婚化、晩産化が進む中、血液を採取するだけで成熟しつつある卵子の数を推定出来る

「AMH(抗ミュラー管ホルモン)検査」

への関心が高まっています。

 

まず、卵巣の中には未熟な卵子を包み育てる、「卵胞(らんぽう)」と呼ばれる小さな袋がたくさんあります。

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さまざな段階の卵胞と排卵

卵胞は超音波検査でも見えないほどの小さな状態から始まり、卵子の成熟が進むにつれ、だんだんと発育し大きくなります。

最終的に20mmほどに育った「成熟卵胞(上図③)」と呼ばれる状態に達すると卵子を排出(「排卵」)し、この卵子精子と出会う事で受精が成立します。

 

AMHは、超音波検査では見えないレベルの小さな発育中の卵胞(上図②「発育段階の卵胞」)から分泌されるホルモンで、卵巣内にある、いずれ成熟し排卵に至るであろう卵子の数が多いほど、その分泌量は多くなります。

 

そもそも卵子の数は女性が生まれる前、お母さんのおなかの中の胎児の時が最も多く、その数は700万個ほどと言われています。そしてその後は新たに作られることがなく減る一方と考えられています。すなわち、胎児の時に600から700万個あった卵子が、出生時で200万個、思春期で20から30万個、37歳ぐらいで2万個、そして50歳で1000個程度になると考えられています。 また、これらの卵子が全て排卵に至るわけではなく、活発に発育している(=AMHを分泌している)卵胞内の卵子のみが成熟し最終的に排卵されると考えられています。

 

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卵子の数の変化

以上より、AMH値を知ることで、検査時の年齢における卵巣内に残っている成熟過程の卵子の数を推測する事が出来ます。

実はAMH値は個人差が大変大きく、若い人でも意外に低い値を示す場合もあります。

 

AMH値が低い場合は、卵子の成熟過程が何らかの原因でストップしているため、排卵まで思いのほか時間を要する事があります。

また、実は残っている卵子の数がとても少なく、このままだと早期に閉経してしまうという可能性があるとも考えられます。

 

逆にAMH値が高い場合は、卵子の数は十分あるのですが、何故か自然排卵が難しく、何らかの医療介入によって排卵がスムーズになる事もあります。

 

このように、AMH値を知ることは、ご自分の卵巣の状態を推測し、ご妊娠に向けて何らかの対策が必要か、そして、その対策は急ぐべきなのか否かといった、その後の人生設計を検討する一助になります。

妊娠を希望されておられる方はもちろん、妊活なんてまだ先…と思っている方にもAMH検査を活用して頂ければと存じます。