産婦人科医ドクターまんまの北海道の歩き方

みなさんこんにちは。

まんまでございます。

Mt.イゾラから望む羊蹄山

先日、ルスツリゾートスキー場に行って参りました。ルスツリゾート北海道 ルスツリゾート (rusutsu.com)虻田郡留寿都村にあるその場所は、夏は遊園地、冬はスキー場を中心とし、他にもさまざまなアクティビティを通じて大自然と一体となれる、まさに北海道を代表するリゾートです。

 

スキー場について申し上げれば、ウエストMt.、イーストMt.、Mt.イゾラという3つのピークに4基のゴンドラ、そして14基の高速リフトを擁する、なんとも贅沢で開放感溢れるゲレンデ構成を誇り、その斜面に佇んでいると、「ここは本当に日本か?」と思わず唸ってしまう、そんな規模のスキー場です。

ルスツリゾートスキー場ゲレンデマップ

特にMt.イゾラは長距離滑走が可能なコースが多く、山頂からコンドラ乗り場までほぼ均一な斜度のピステをかっ飛ばしていると、日頃のストレスや鬱憤を吹き飛ばしてくれること請け合いでございます。


訪問日は3月下旬の平日ということもあり、ルスツとしてはこれまでに経験したことがないほど空いていました!
当日は天候にも恵まれたため、それこそオープンからクローズまで北大基礎スキー部の現役時代のように夢中に滑っておりました。

Mt.イゾラ ヘブンリービューコースからの眺め

基礎スキー部時代はとにかく早く上達したい一心で、文字通りオープンからクローズ(ナイター含む)まで滑りに滑りまくっていましたが、社会人になってからというもの、そもそもスキーに行くことが億劫になり、さらにはいざスキー場に到着しても1本2本滑った程度で疲労困憊、「嗚呼、明日の仕事もあるし、もう帰るか」と昼ドンを待つことなく撤収状態が常でしたが、今回のひさしぶり(もしかして20年以上ぶりかも知れません)のルスツ訪問は本当に時間と疲労を忘れさせてくれました。

北海道大学に入学し、「北海道に来たからにはぜひスキーは滑れるようになっておきたい!」との思いから、入学早々に基礎スキー部に入らせていただきましたが、基礎スキー部での理論講習と夏場の体力作り、そしてシーズン中の上級生が下級生を系統的に指導するというレッスンシステムの恩恵により、板を履くのも一苦労、スキーも人生で数回したしたことなかった超絶スーパー初心者だったわたくしも、2年目にはSAJ1級を取得することが出来ました。

基礎スキー部の公式HPトップページ | 北海道大学基礎スキー部 (huss.sakura.ne.jp)SNSを拝見していると、現在の滑りのトレンドは膝の動きで板の角付けを切り替えして鋭くターンを切り込んでいくようですね。

わたくしが在籍していた当時と滑りの質が大きく変わっていることに驚かされますが、オフシーズンの旅行などスキー以外のレクレーションも充実しているようで、部活を通じて大学生活を楽しむという姿勢は変わってないようです。

ついでながら、全日本スキー技術選手権大会に出場している部員がいるというレベルの高さにも驚かされます。

いつの日か、デモンストレーターを輩出するかも知れませんね。

さて、そんな基礎スキー部時代、先輩の企画で部員仲間と訪れた「カムイワッカ湯の滝」など、もはや観光客が簡単に足を踏み入れられるところではなくなりましたね…。
草鞋を履いて川を遡上し、流れ出る源泉で温められ天然の露天風呂と化していた滝つぼに浸かって知床の大自然に溶け込んでいた、そんな当時がとても懐かしいです

(写真を撮っていたはずですが、どこにも見当たらず…残念)。

カムイワッカ湯の滝


上記はネットからの拾い画像ですが、現在は一の滝までは行けるようですね。
怪我と羆対策は自己責任ですが、それこそ当時はどこまでも登っていくことができました。
神削壁産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方 - doctor-mamma’s diary (hatenablog.com)タウシュベツ橋梁産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方 - doctor-mamma’s diary (hatenablog.com)もそうですが、このように多くの北海道遺産が近くて遠い幻状態というのは、本当にさみしいですね。

産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方

みなさんこんにちは。

まんまでございます。

 

お見合いのような堅苦しい場面で趣味は、と聞かれたら
恐らく「読書」や「散歩」などと答えると思いますが、何らかの集まりやサークルなどで自己紹介する際に趣味とくれば、やはり「ドライブ」と答えたいです。
 
これまで道内各地を津々浦々、愛機を連れてドライブして来ましたが、そんな愛機といたしましては初号機から一貫して「速くて、カッコ良くて、そしてインパネが綺麗」という信念のもとクルマを購入して来ました。
 
個人の嗜好はそれぞれでしょうけど、わたくしは理屈抜きで車高の低い、いわゆるスポーツカーにこそクルマの魅力を感じます。
 
いつの日からか、鮮やかなボディカラーの光芒と逞しいエンジンサウンドの余韻を残して走り去るクルマから目が離せなくなっていました。
 
思い出せば、あれは薬学部の学生時代でしょうか。
大学構内をランニングしていた時、横をやたらとペッタンコなクルマがブォンと走り抜けていきました。
誰かが、「おー、NSXや!初めてみた」と叫んでいたのを聞き、「あれがNSXか…」とわたくしも当時デビューしたばかりで話題騒然だったNSXを初めてみることが出来ました。
その時の感動は今でもよく覚えています。
NSXにつきましては、こちらの画像を参考にしてください)
 
また、やはり薬学部の学生時代、オリックスレンタカーでアルバイトをしていましたが、このバイトを通じて様々なメーカーのクルマに触れることで、好きなクルマの自分軸のようなものが出来たと思います。
そして、クルマ好きのバイト仲間が「ホンダのVTECエンジンは凄い!!」と常日頃から興奮して話しているのを聞いていたので(残念ながら、当時VTECエンジン搭載マシンのレンタカーは用意されていませんでした)、マイカー初号機はぜひホンダのVTECマシンを購入しよう!と心に決めていました。
 
VTECエンジンというのは、一定の回転数に達するとエンジンのレスポンスとサウンドが劇的に変化する特殊な機構を備えたエンジンでして、これはもう味わった者しか分からない魅力と昂奮に満ちたエンジンです。
よく、雑誌などでVTECエンジンのことを「官能的」と表現しているのですが、本当にその通りだと思います。
 
高回転側にカムが切り替わった際の、あの甲高く力強い咆哮と背中を押されたようなトルクの盛り上がりには言葉に表せないほど気分が高揚させられます。
 
そもそもエンジンには自然吸気と過給機付き(スーパーチャージャーやターボなど)、そして現代ならハイブリッドもありますが、わたくしはもう、とにかく自然吸気に拘りたいです。
 
アクセルを踏み込むと、踏んだ分だけ素早く回転数が上昇するエンジンレスポンスの良さ、そして、淀みなく一気に吹き上がる乾いたエンジンサウンド…これらは自然吸気でしか味わえません。
ホンダのVTECエンジンは上記のような自然吸気の特徴を有しているのはもちろん、カムが高回転側に切り替わった際のエンジンレスポンスとサウンドは、低回転側のそれとは比較にならないぐらい攻撃的で猛々しいその様こそ、まさに「官能的」です。
 
VTECエンジンの素晴らしさは後からわかったことではありますが、いずれにいたしましても、卒業して社会人になったらすぐクルマを買うぞ、と心に決めクルマのカタログを眺めつつ薬剤師国家試験対策に勤しんでいたように記憶しています。
 
晴れて合格発表の日、自分の番号を確認するや否や、速攻で近所のホンダディーラーに行き、その場でマイカー初号機をフルローンで契約して来ました。
爾来、ホンダのVTECマシンを数台乗り継ぎましたが、中でもマイカー弐号機のインテグラタイプRは7年17万キロを共に歩んだ、文字通り良き相棒です。
地吹雪で視界不良の中雪山に突っ込んだこともありますし、タクシーに当てられたこともあります。
横滑り防止装置などない時代ですから、雪道を普通に走っていただけなのにいきなり一回転したこともあれば、夜中の国道で怪しい車三台に挟まれそうになったこともあります(;´・ω・)

インテグラタイプR
薬剤師から医師への転向も見届けてくれたインテグラタイプR…見た目もインパネも大好きでしたが、やはり「タイプR」と称するだけあって、
心臓部に備えられたVTECエンジンにこそ最大の魅力を感じていました。
5800rpmでカムが切り替わるのですが、そんな高回転域まで回している時点でそれなりの速度に達しているにも関わらず、さらにそこからターンと弾けるように加速していきますからね…。
まさに、超高回転型エンジンです。
(上述の怪しいクルマたち…夜中の国道を恐ろしくのんびり走ってらっしゃるので、こちらは眠いし早く帰りたいし…で嫌な予感がしつつも三台まとめてVTECパワーで抜いて差し上げたら、なぜか猛スピードでついてきまして…もちろん、バックミラー越しに追いかけてくる三台を認めたため、さらにVTECを発動させ三台とも突き放し難を逃れたというお話でした(;^ω^))
 

インテグラタイプRのインパネ
医師になってからは輸入車に鞍替えしてしまい、残念ながらインテグラタイプRはもはや手元にございませんが、タコメーターが1万rpmまで刻んでいるという懐旧の情には抗えず、そんなインテグラタイプRを思わせるインパネと、エモーショナルなサウンドを奏でると評判の自然吸気エンジンを備えたマシンを愛機に迎え、これからも大好きな北海道をドライブしていきたいと思います。
 

愛機のインパネ
 
 

産婦人科医 ドクターまんまの遥かなる旅路~シンガポールの夜はやさしく…~

みなさんこんにちは。

まんまでございます。

 

先日、シンガポールに行って参りました。
シンガポールの旅行情報というなら、それこそ元祖「地球の歩き方」なりInstagramなりを検索した方がよほど有益な情報が得られると思います。
なので、わたくしは一般的な媒体では示されていない(あえて書くまでもない?)取るに足らない、それでいて日本との比較でいろいろ参考になりそうな、ちょっとした気づきを記載したいと思います。
 

Merlion Parkから望むMARINA BAY Sands
まず、Changi International Airportに着いてのシンガポールの率直な感想は、
「建物がデカイ(天井が高い)」
というものでした。
ついでにMass Rapid Transit(以下MRT)という地下鉄(郊外では地上も走る)駅に向かうのも一苦労ですし、アプローチのため地下に潜るエスカレーターも長いです。
併設しているJewelのRain Vortexなんていう滝は、L5からB2まで貫くように落ちてますからね…。
国際空港ですからまあそれなりのボリュームがあるのは当然ですが、とにかく何かとスケールが大きいというのが第一印象でした。
 

HSBC Rain Vortex
エスカレーターと言えば、シンガポールでは自立歩行する階段が少なく、階下または階上への移動はほとんどエスカレーターが用意されています。
しかもッ!
日本のエスカレーターより明らかにスピードが速いッ!!
日本では「歩くな」という割にやたら遅いエスカレーターに辟易(時々びっくりするほで遅いエスカレーター≪特に下り≫に遭遇することもありますね)しますが、シンガポールエスカレーターはすべてではないですが、日本よりも速い設定のものが多いです。
これにはスカッとしましたね。
上りも下りも関係ありません。
スキー場の高速リフトさながら、ステップに立つとその速度感に思わず感激してしまいました。
 
そして、シンガポールと言えばゴミの扱いにとても厳しいイメージでしたが
路上喫煙と吸い殻のポイ捨てが異様に多いのには本当に驚愕いたしました。
ゴミ、ガム、そしてMRT内での飲食厳禁な割に、タバコには甘い印象ですが、何か政策上の理由があるのでしょうか?
 
あと気になったのは、横断歩道が少ないということでしょうか。
反対側に行きたいが横断歩道がない…と、そこら辺をウロウロすることも多々ありました。
そういう意味では日本はとても歩行者に優しい国かも知れません。
 
日本の良さ…それはやはり「気配り」とか「おもてなし」と言ってもいいかも知れません。
決してシンガポールが劣っているというのではなく、日本の「気遣い度」が高いのでしょうね。
 
日本ではあまりないことですが、シンガポールの行先案内の看板は結構ラフというか大まかというか、指示通りに動いてもなかなか目的地に着かなかったり、案内表示が途中でなくなったりして、かなりの確率で道に迷います。
また、お菓子やペーパーなどの封入物を開けようと思ってもパックに切り込みがなく、それでいてやたらと固いのでとても開封しにくいところ、日本だと「マジックカット」を開発しただけあって、なんらかの切れ込みはたいていありますからね。
 
ついでながら、Changi International AirportのArrivalでちょっと気になったことがあったので、そこに居た空港職員を捕まえて拙い英語で質問しても
「アナタノイッテルコト ワタシワカリマセン(英語)」とかなんとか一蹴、職員もプイっとどこかに消えてしまいました。
もうちょっと親身に対応してくれてもいいんでないとかなんとか。
 
なんだかシンガポールの文句ばっかりになってしまいましたが、道中のほとんどは
愉しい気持ちで満たされていました。
 
もはやシンガポールの代名詞となっているMARINA BAY Sandsの威容に接した時は
ここが日本から遠く離れた異国の地であることを痛烈に感じました
洋上から一瞥して、そこがシンガポールだとすぐわかりそうな個性を放っているのは、国際国家の矜持を高らかに主張しているかのようです。
 
Gardens by the Bay、動物園にUNIVERSAL STUDIO SINGAPOREなど鉄板コースを巡るべくez linkカードを駆使してMRTやバスに乗ったり、逆にあえて公共交通機関は使わず歩いてみたり…シンガポール在住日本人の真似事が出来たような気もします。
 

UNIVERSAL STUDIO SINGAPORE
食事は結局SC髙島屋地下のフードコートとマックがメインというのはご愛敬ですね。
 

毎日通ったFOOD VILLAGE@SC髙島屋
シンガポール名物の夜景も安全に堪能することができました。
SPECTRAで彩られたマリーナ地区に佇んでいると、派手なようで実はやわらかい光の演出にどこか懐かしさを感じます。
 
また行きたいかと聞かれたら、もちろん「Yes!」と答えます。
 
宿泊先の最寄り駅だったOrchard駅ですが、活気に満ちたコンコースの雑踏、歯切れのよいMRTの車内アナウンス、そして非常に美味だった「St.Leaven」(SC髙島屋地下にあったパン屋さん)のチョコクロワッサンと再会出来る日を楽しみにいたしております。
 

SC髙島屋@Orchard
 

産婦人科医 ドクターまんまのダイエットライフ

みなさんこんにちは。

まんまでございます。
 
わたくしは現在、BMIが18で、一般的には「痩せている」方だと思いますが、これまで
何度なくダイエットとリバウンドを繰り返してきまして、「趣味」という欄に
「ダイエット」とでも書いてやろうかとさえ思うほど、本当に何度ダイエットしてきたか分かりません。
 
幸い、今回のダイエット作戦(2022年6月から9月)で絞れるところまで絞りまして、その後はリバウンドせずに過ごせておりますが、いつリバウンドするか分かったものではないので、食事量や間食には細心の注意を払っております。
これは大変ありがたい事なのですが、人様と同じ量を食べてもなぜか
自分だけぶくぶく太るような気がします。
燃費がよいのか、サバイバル向けとも言えるか…。両親には感謝しなくてはいけないことですよね…。
 
さて、そんなわたくしが人生初のダイエットに挑んだのは高校1年生の夏休みです。
小学生から少しずつ増えてきていた体重が一気に膨張したのが高校入学後でして、
ある時の昼食のメニューとして、UFOのカップ焼きそばにメロンパン、そして横にはファンタオレンジが並んでいた光景をかすかに覚えております。
はい、もちろん、ファンタオレンジは1.5リットルのペットボトルでございます。
テレビを見ながら飲み食いしていたからか、気付いたら1.5リットルすべて飲み干していた時にはさすがに当時の肥えた自分でも「こりゃ飲み過ぎか?」と思ったのですが、食欲には抗しがたく、そのような生活が続いていたように記憶しております。
 
そんなある時、恐らく自分でも「このままではまずいかなあ」と考えていたのでしょう、自宅にあった体重計に恐る恐る乗ってみると…くるくると回るアナログ体重計の文字盤が示した数字は自分でも驚愕の90kg(!!)。
「マジか!!これはヤバい!!」と焦ったかどうか、これではダメやと思ったのでしょう、夏休みを利用してダイエットすることにいたしました。
 
そうして早速取り組んだダイエット法はもう、シンプルに摂取カロリーを抑え、消費カロリーを増やす作戦ですが、とにかく摂取カロリーを抑えることに重点をおきました。
運動しても消費出来るカロリーは限られると思ったのでしょう、食品のカロリー一覧表を購入し、これまでの旺盛な食欲を振り切り、高カロリーなものはなるべく「食べない」作戦を遂行いたしました。
 
当時採用したダイエットメニューを今でもよく覚えていますが、カロリー一覧表を吟味し自分なりに栄養も考慮しての内容は…
朝食 6枚切りの食パン1/4枚とミロ100ミリリットル
昼食 ヤクルト1本
夕食 ウインナー1本 トマト1/8切れ 白米ほんの少し
でして、これを夏休みの約40日間毎日続けました。
高校時代を過ごした京都の夏は暑いですから、黙ってても多少は汗をかきます。
運動するとすぐ汗をかいたとは思いますが、運動療法にはあまり積極的ではなかったように覚えています。
運動するとしても昼間は動かず、夜、サウナスーツを着て自転車で周辺を走るという程度だったと思います。
サウナスーツを着ていたのは、夜のサイクリングでも効果的にカロリーを消費したいと思ったからでしょう。
後は、時々近所の大衆浴場に行き、サウナに身を任せていた時もありました。
 
今振り返ってみても、よくもまあ、こんな少量の食事を40日も続けたなあと思います。
 
結果、夏休み最終日の8月31日には60kgまで落ちていました。
 
学校指定の学生服は一式買い替えた訳ですが、まずは学生服を取り扱っていた
近くの洋服店の人に驚かれ、UFOをよく買いに行っていたスーパーのレジの方に
「痩せたなあ、きっとモテルわあ」と褒められ、学友には「最初誰かわからんかったやん」と言われまして、人生初ダイエットは大成功に終わりました。
 
爾来、リバウンドとダイエットを30年近く繰り返すことになろうとは、純粋な高校生だったわたくしが知るはずもないですね…。
 
高校時代は幸いほぼ同じ体型だったと思いますが、大学に入学後、部活と自炊生活にて
60kg後半まで増えた体重が、部活を引退した大学4年時には二次関数的に増加し、
気が付いたら80kg目前まで増えてしまいまして、なんでやねん!との思いで
大学4年の夏休みはダイエットに明け暮れていました。
 
あとはもう、推して知るべしといいますか、60kg台と80kg前後を行ったり来たりの
生活でした。
社会人生活と飲み会の日々、医学部再受験に定期試験時期、そして医師国家試験という勉強集中時期、さらには高ストレスの研修医に3日に1日は当直の若手医師時代、おまけは名古屋での一人暮らし時期…どうしてすぐに体重が増加に転じてしまうのでしょうか?
 
もはや何回目のリバウンドクライシスか覚えていませんが、2022年6月、75kgの体重と弛みに弛んだ腹部に嫌悪感を抱き、これで人生最後にしたい…とダイエットに臨むことといたしました。
 
果たして、人生初の50kg台、体脂肪率一桁を達成し現在に至っておりますが、
今回は栄養指導も取り入れ、単純にカロリーを抑えるだけでなく、水分摂取の励行(2リットル)、食事内容の見直し(野菜中心、タンパク質多め、炭水化物の大幅な削減)、食べる順番の精査(汁物、野菜、タンパク質、そして最後に炭水化物をほんの少し)と運動療法(一日平均1万歩、時に東札幌から北広島まで歩く)もプラスしました。
今回の収穫は人生未だかつてないほどのダイエット効果を得たというのもそうですが、何より嗜好が完全に変わりました。
ピザ、パスタ、ラーメン、パンの類はそもそも食べたいと思わなくなりまして、野菜と植物性タンパクのみで十分満足するような習慣が出来ました。
そうは言ってもやはり甘いものは食べたいと思うので、たまには大福やたい焼きを食べてしまいますが…。
そんな時は長めにウォーキングして過ごすようにしてます。
 
下の写真は東札幌から北広島までつづくサイクリングロードです。
片道20kmほどありますが、森林浴とストレス解消もかねてプラプラと歩いたりしてます。

北広島まで続くサイクリングロード@上野幌
当初は歩いていましたが、最近は時々ジョギングしたりしています。
ジョギングで完走できたらハーフマラソンに挑戦できますね!
そんな趣味もいいかも知れないですね。
 
さて、これが本当に最後のダイエットになるかどうか…それはもう、
この記事を読み返している数年後の自分のみぞ知る…ですね。
 
こちらはミロの拾い画像です。
時間がないときの食事には最近はもっぱらカロリーメイトを愛用していますが、
ミロには大変お世話になりました。
思い出深いですね。
ありがとうございました!
 

ネスレ ミロ (当時もこんなデザインだったような…)
 
 
 
 
 
 

産婦人科医 ドクターまんまの想い出の旅

みなさんこんにちは。まんまでございます。

 

本日(令和5年1月14日)は大学入学共通テストですね。

 

受験生の闘志あふれる熱気に寒さも忘れそうです。

そんな若者のエネルギーをひしひしと感じていると、自分が受験した時のことを思い出しました。

 

令和5年度共通テスト会場の一つ、「北海道教育大学」前にて

20数年前はセンター試験でしたが、会場は「京都工芸繊維大学京都市左京区)」だったと記憶しております。

まずは受験票。

大きめで年によってカラーが異なる独特な受験票は、確か赤色か桃色だったと思います。

そして会場ですが、京都工芸繊維大学の場所をGoogle mapで検索してみると、高校時代の住居である山科区からかなり遠いところですね。

もちろん、高校の所在地からもさらに遠いです。

現地まで友達と待ち合わせをして試験に臨んだのか、何時ごろ着いたのか、当時の天気はどうか、昼休みは何を食べたのか…なぜか全く覚えていません。

テストそのものでは、一問10点も配点され、出来れば間違えたくない国語の選択肢を間違ったとか、模試では好成績だった英語が本番では全く振るわなかったとか…これまたロクな記憶がないです。

試験2日目の朝刊に1日目の解答例が掲載されますが、敢えて自己採点はせず、2日目の日程が終わってからすべての科目を一気に採点したというのは、高校生なりの戦略だったのかなあとか。

 

結果的には、目標としていた得点率を超えられず、ついでながら定期試験で順位を争っていた親友との勝負に僅差で負け…と、やはりよい記憶がないですね。

 

ちなみにその親友とは、六星占術で有名な細木かおり氏の旦那様です。

 

彼は東北大学に進学したのですが、大学時代はお互いの実家で寝泊まりしたり仙台の下宿に遊びに行ったり、はたまた「青春18きっぷ」を利用し普通列車東海道本線を旅行したりしていました。

彼が北海道に遊びに来てくれた時は、修学旅行以来の層雲峡を再訪したり、わたくしの下宿で飲み明かしたり…と楽しいひとときを過ごさせてもらったものです。

結婚式に呼ばれたのですが、当時19歳だったかおりさんその方がよもや細木数子氏の跡継ぎになろうとは。

つくづく人間の縁って不思議だなあと思います。

 

さて、そんなこんなでセンター試験の点数は振るわなかったのですが、予定通り前期日程は実家から通える関西の国立大学に強引に出願、後期日程で母校となる北大を選択いたしました。

残念ながら前期日程の第一志望は不合格でしたが、人生あれなければこれなし…と、万が一第一志望校に合格し通学していたら今の自分はどこで何をしてたのかなあと、考えても仕方ないことに思いを馳せてしまいます。

大学4年生の冬が阪神淡路大震災の年となります。

不謹慎かも知れませんが、被災して命を落としていたかも知れません。

また、医学部を再受験しようと思ったかどうか。

やはり人間の運命ってわからないなあと思います。

 

いずれにいたしましても、受験生の皆様はベストを尽くしてください!

受験の先輩としてわたくしも全力でエールを送りたいと思います。

産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方

こんにちは。まんまでございます。

 
道内には数多くの峠道がございますが、おすすめと言えば
三国峠を外すことはできません。
 
三国峠大雪山国立公園内にあり、北海道内の国道としては最高点(標高1139メートル)に
位置するという点で有名です。
そんな展望台からの眺めはまさに「眺望絶佳」というに相応しい一大パノラマで、いつ見てもそのスケールに圧倒されます。
そして三国峠と言えば「松見大橋」ですね。
展望台から少し歩いた先から眺めることが出来ます。
 
大雪山の大樹海に浮かぶよう…と形容される同橋ですが、
こちらは眺めるよりも愛機で走りながら三国峠展望台を見上げる景色が非日常的で好きですね。
 
下の写真は展望台から松見大橋方面を撮影したものです。
画面中央やや左側にくの字にカーブしている橋の一部が見えています。
 

三国峠展望台から松見大橋を望む
なお、展望台にはハンドドリップに拘った自家焙煎珈琲やソフトクリームを販売しているカフェがあります。
十勝山麓に吹く風の爽やかさを一層引き立ててくれそうですね。
 
最後にWebから拝借いたしました、「松見大橋」の全体像を掲載いたします。

松見大橋
 

産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方

こんにちは。まんまでございます。

 

以前紹介させて頂いた層雲峡へ久しぶりに行って参りました。

(こちらの記事をご高覧いただけますと幸いです)

産婦人科医 ドクターまんまの北海道の歩き方 - doctor-mamma’s diary (hatenablog.com)

 

 

大好きな層雲峡からすっかり足が遠のいていましたので、

快晴の休日、「そうだ、小函がどうなっているか、紅葉狩りもかねて層雲峡に

行ってみよう!」と、早速愛機で出掛けてみました。

 

まずは駐車場も広く、ゆっくりと景色を楽しむことが出来る大函を目指しました。

 

2022年10月吉日の大函

この大函、柱状節理のダイナミックさは小函に劣りますが、駐車場や散策するスペースに恵まれていることもあり、1983年の初訪問時は、お土産屋さんやレンタサイクルの駅もあり、かなりにぎわっていたと記憶しております。

しかし時は2022年。

令和の大函はそんな以前(よく考えればおよそ40年前!!)の姿を微塵も想像させないほど閑散としていました。

店舗は名残すらないのは当然ですが、トイレも固く閉ざされ、もはやただの無料駐車場と化していました…。

 

世の変化は無情です。

 

ただし、小函から大函に抜ける旧国道の大函トンネルが通行出来そうな姿に戻っていました!

 

旧大函トンネル

こちらのトンネルは、現在の新大函トンネル(国道39号線)が出来た際サイクリングロードに転用されたのですが、小函の通行禁止措置と共にその役目を終えたところ、以前の記事で紹介していますように、わたくしが最後に見た姿は入口がコンクリートか何かで完全に閉じられていました。

ところが、何故か開通しています…。

 

これなら中を通ることが出来そうです!!

真ん中あたりに鎮座していた、巨大なお地蔵様はまだあるのかなあ…。

出口の明かりも見えるので怖くない…気がする。

今回は他のお客さんもいらっしゃったので写真撮影だけでしたが、周りにだれも居なかったら行ってみようかなあとかなんとか。

そんな大函は早々に撤収し、小函へ。

 

本命の小函でございますが、結論的には、もはや小函の景観を愉しむには絶望的に不可能な状態でした。

 

小函の入口(画面左手;2022年)

上の写真に見えるゲートでございますが、以前は解放されていました。

 

小函側から見た入口(2005年)

上記の写真は、2005年に訪れた際、ゲートを少し入ったところから入口を振り返った時に撮影したものです。

もはや同じ場所とは思えないですね…。

ちなみに、当時はクルマでゲート前まで簡単に乗り付けられましたが、現在はクルマが入れないような措置がされています。

 

ゲート越しに中を覗くとこんな感じです。

小函入口ゲートから中を覗くと…

当たったら死ぬな…と思わせるこのような巨大な崩落石が無数に散らばっているほか、訪れる人もまばらなのか、かすかな獣道を残すだけで草木も荒れ放題、どこに羆が潜んでいてもおかしくない雰囲気と崩落の恐怖で、ゲート付近に立っていることすら不可能です…。

 

あと450mで神削壁…数百メートルが果てしなく遠く感じます。

ほんの少しでも神削壁を眺めてみたかったですが、さすがに無理でした。

 

もしかすると、もう既に大部分が崩落してるかも知れないですね…。

 

タウシュベツ橋梁も崩落寸前ですし、北海道の遺産が次々と失われていく姿が残念でなりません。

圧倒的迫力で迫るかつての小函の柱状節理

ドローンなら確認が容易でしょうが、やはり直接眺めてみたい、そんな在りし日の小函に想いを馳せながら層雲峡を後にしました…。